我々は「ティアラ」を与えたのです
どうも、はじめましての方ははじめまして。イクヨモツです。
未央合同誌寄稿作品『これからの話をしよう』が主催者から許可がおりてこのたびWeb公開されたので、ここで少しその話をしようと思います。
内容に関して、というよりは、この作品を土台として描きたかったものとか、そういう方面の話をば。
↑作品はこちらから。
↑作品はもう読んだよ!という方はこちらが書いてる当時めちゃくちゃ影響を受けてこの作品のイメソンになった歌です 。
1,出発点は「ケンカ」
あらすじとしては、プロデューサーが未央のプロデュースを諦めて担当から外そうとしてたところに未央がやってきて、ショックを受けた未央が事務所を飛び出す、プロデューサーはその後を追うことも叶わず……から始まります。
「プロデューサーの分からず屋!」
— ⚓イクヨモツ/✇/☆☆★/🌹 (@nagahara0) 2018年9月11日
「お前ぇこそ俺が居なけりゃなんにも出来ないくせに!!」
「おーい、こないだの仕事の…………あぁ、そうか」
— ⚓イクヨモツ/✇/☆☆★/🌹 (@nagahara0) 2018年9月11日
「ねえねえプロデューサー!コレ見てよこ…れ………って、そっか」
「…別にあいつがいなくても」
「プロデューサーがいなくったって」
発想の源はここから。出来上がった作品とは少し違う感じですけど、ケンカ別れするアイドルとプロデューサーを書きたかったってところは同じですね。
で、骨組みを作って肉付けしていったら……使いたかった「プロデューサーの分からず屋!」がどこにもないという事態に。なんか置いてきちゃったのかな、たぶんそうです。
2,「ロードマップ」と視点移動
いざ書こう、というか合同誌に参加しよう!となった時に、合同誌に寄稿する上でプロットの提出が必要だったので、なんとか捻出した(プロットを書くとそれで満足してしまうタイプなので普段はあまり書かない)のが印象に残ってます。大変でしたねあれ。話の流れがだいたい頭の中に入ってるなか、飽きが来ないうちに書き上げる必要があって、書いてる間は常に自分との戦いでした。
ざっと書き上げて、それから文字量制限を考慮して切った部分があるので、その辺りをもう少し文量を切りつつ収められたらなーという後悔がちょっとだけ残ってます。まぁつまり伸びしろがあるということですね。
次いで書く上で印象に残ってるといえば「視点」に意識を向けてたのもありますね。プロデューサーの一人称から始まって、未央の一人称、プロデューサーの一人称に帰ってきて、さらに未央の一人称になって、最後は三人称視点から、という。視点のいったりきたりをきちんと読み手に把握させるために力を入れてました。
3,「解」を求めて
結局何が書きたかったかというと「担当アイドルの成長によって担当Pはいつか淘汰される」を否定したかったんですよね。発想の源とは別に、ケンカ別れする作品の着火剤になった作品があったんです。
きっかけとなったとある作品は、自分の作品の冒頭とほぼ一緒で、あれをより詳細に描いたものでした。ライブを経て担当アイドルの成長を感じて「これ以降の成長に自分が関われるのか」と、プロデューサーが担当を降りるかどうか迷うというもの。お話の最後は、担当アイドルに電話をかけるところまでが描かれて、担当から降りたのか続行したのか、結末は描かれないままでした。
それを読んでからしばらく、言いようのないモヤモヤが自分の中で渦巻いて「いや、そうはならないだろ」と思いつつ、しかしなかなか解を書けずにいたところに、発想の源と着火剤とが上手く交わったことであの作品が爆誕しました。
プロデューサーが担当を降りようとしたところで、それを止める「誰か」がいるはずなんです。その「誰か」を描きたかった。
4,「ティアラ」
そして何よりも「そうはならないだろ」と思ったのは、担当アイドルをトップに導かないまま、担当プロデューサーから降りるということがいかにその子にとって惨酷なことか、と感じたからでした。 これは着火剤に出てきたのが自分の担当だったというのもありますが。
着火剤となった作品においては、特にトップアイドルという地位に立ったわけでもなく、ただその時のステージを見て、これ以上はもう関われないと感じただけで、担当アイドルが至るべきところには至ってないんですよね。
同じアイドルの担当プロデューサーとして、もっと導いてやれよ!という思いと、そんなこと言って彼女から手を引いていいわけがないだろ!という思いが混ぜこぜになって、大きな着火剤になったわけですね。
同じ状況にあっても、私なら次のステージを目指せるように努めるだろうと。なにより、自身が満足したからといって、担当アイドルを放っていいわけがないと。
青春を燃料に彼女らにアイドルという火を燃やさせているのは私で、その火がいつか絶える瞬間まで私は見守らなければならないのです。あるはずだった彼女の輝かしい青春を燃やして、アイドルに生を費やさせた私にはその責任があるんです。
ことデレマスにおいては、私自身が「君こそがシンデレラである」と選んでお姫さまのティアラをあげるわけですから、なおさら途中で自分だけが舞台を降りるのはとんでもないことなのです。
シンデレラとしてティアラをあげたということは、いつか訪れる「12時」に魔法は解ける。魔法使いには、その行く末と終わりを見届ける責任があるのです。「変えてしまった」張本人たる私は彼女の隣に居続けなければならない。自ら離れようとしても『彼女と関わった年月』と、なにより彼女が許さないでしょう。
魔法使いの与えた、ティアラとドレスとガラスの靴なしでは歩けない体と化した彼女の元からいなくなることは、即ち『アイドルとしての彼女』の、あるいは【ヒトとしての彼女】の、あるいはその両方の死を意味します。
だから私は「担当すること」を「背負う」というのです。ヒトの生の重みを背負うことが、プロデューサーの責任であると思うから。
5,「次」は何処へ
いつの間にか、未央を担当にすると決めてから3年の月日が流れてました。シンデレラガールになってからもう1年経ってら。はやいね。
いい機会だったので、1月から下書きに放りっぱなしだったこれを書き上げて、「これからの話をしよう」をひとつの不安のもと筆を取ってたことを思い出しながら、もっと未央と対話することにしようと思います。
「ひとつの不安」については近々公開する方の記事で吐き出します。この記事を書き始めた頃には想像もつかないことがちらほら起こっていて、なんだか楽しいですね(?)。
未央の起こす「たくさんの人と大きなことがしたい」に巻き込まれてるような気分になったところで、次にバトンを繋げたいと思います。次?次は次です。たぶんそっちの方が長くて語らってるのでぜひ。