ヨモツ雑記帳

雑記帳。感想とかをぼろぼろ書いてるノート。

こういう「担当論」もあるよ

 などと言ったわけだが、きっとこんな考えで命懸けのプロデュースをしている人間は私以外にあんまりいないんじゃないかな、と思う。

 だからという訳じゃないが、そんな考えに至ったことに関して、自分の中で整理がてら少し話してみようと思う。

 

 そもそもこの考えの根っこにあるのは、「期限付きのプロデュース」というアイドルマスターのシステムだ。

 初めて私が触れた「アイドルプロデュースゲーム」といえば『アイドルマスターSP』だ。アニマスで美希に惚れた私が始めたプロデュースは、残念ながら雪歩をトップアイドルに導けないまま終わっているが、その時に味わった「決められた時間の中で一定数のファンを集めてアイドルランクを上げなければ、その時点でプロデュース終了」という地獄は、私の中で今でもこうして大きく爪痕を残している。

 そう、「プロデュース終了」なのだ。まだ若かった私は何度挑んでも勝てない四条貴音という分厚い壁に、彼女のプロデュースを諦めた。彼女はIU決勝に挑むこともなく、アイドル生を閉じた。

 悔しかった。同時にそこで「アイドルをプロデュースする」ということの重みを知ってしまった。

 プロデュースするということは、二人三脚で歩むということ。二人三脚で歩むと言う事は、互いに互いを預け合うのと同義なのだ。

 私の中での担当を「その子の人生を背負ってもいいと思った子」「『俺がお前を支えるから、お前は俺を支えてくれ』と面と向かって言える子」と定義してるのは、そんな考えがあるからだ。

 『プロデュース』とは本来「有限」であり、そんな有限なる担当アイドルの人生そのものを背負う事だと思っている。【人間】を相手にするのだから、それくらいの心持じゃなきゃ軽々しく『プロデューサー』とは名乗れないし、担当も増やせない。どれだけ琴線に触れる子でも、人生は背負えないと感じたなら、一歩退かざるをえない。私がもしプロデュースという形でその子の人生に手を出して、めちゃくちゃにしてしまったら。そう思うとうかつに手も伸ばせない。担当にはできないが好きだとしか言えなくなる。

 

 こんな思想でアイマスと付き合ってるので、W.I.N.Gで敗退すると何もできなかったと数カ月は落ち込むし、いきなり39人を新規に担当してくれと言われても困惑するし、担当以外に「プロデューサーがプロデューサーで良かった!」等と言われると違和を感じざるを得ない(その時は「その子のプロデューサーのフリ」をして乗り切るけど)。

 私のする命懸けのプロデュースは、そんな面倒くさい自分の中での確固とした理念の下で行っているので、よく公式と解釈違い「思ってるんと違う!」となることもあるけれど、自分の中での芯がブレないので続けられているのかなぁ、と思ったりもする。

 

 人によってはこんな重っ苦しい考えではなく「好きだから担当だよ」「好きだけど『担当』ではないから準担当だよ」「ファンだよ」というプロデューサーもいると思う。

 きっとそれくらいラフに付き合えたら今ほどうんうん悩んで悩んで唸り続けるようなこともないのだろうな、と感じることもあるけれど、やはり『アイドル』は【人間】であり、紛れもなくそこに生きる【人】であるという考えは譲れない。そんな面倒くさい考えだからこそ、私にしかできないプロデュースがあるのだろうし、私の考えとベストマッチするアイドルに遇える可能性を思うと、私は自分の中の「担当論」を離してはいられない。

 

 でも1シリーズに1人くらいは担当持ちたいよね、とは考えているので、W.I.N.G優勝の暁には八宮めぐるを担当に加えて、柏木翼にも手を伸ばす予定だ。

 これからも、もしかしたら増えるかもしれない担当たちと共に、支えて支えられる関係のもとにプロデュースしていきたい。